高校に入ってすぐに、夏目(なつめ)樹(いつき)は部活を辞めた。
中学のときは、全国大会出たこともあってそれなりに名前は知られていたし、高校でも続ける気でいた。
そんな彼が辞めた理由は、とても簡単だった。骨折だ。
ある日の帰り道、歩行者――達樹――の存在を確認できないままのトラックが急に左折し、歩道にいた樹を撥ねた。
幸い命に別状は無かったが、樹の足はボロボロだった。
それは、彼にとって恐怖になった。
陸上選手にしてみれば、足の怪我は大きな意味が出てくる。
陸上競技での走りの競技はタイムが結果である。速い者が上位に立ち記録を残す。
そのコンマ差を競うタイムの分け目は、練習による身体能力と技術の向上だ。勿論(もちろん)、個人の素質も影響するが、鍛えられた筋肉と怠けきった筋肉では差が開くのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。
つまり、好敵手(ライバル)との差は開き、挑戦者(チャレンジャー)たちに追いつかれる。
「大変だったな」「可哀想に」、心配や慰(なぐさ)めの言葉は逆に彼を追い詰めた。そして現実は待ってくれなかった。
全治三ヶ月。足の他にも肋骨なども折っていたらしい。
彼の心はそこで折れた。
もう一度、本気で走ろうとは思わなかった。走る自信も折れた。
戻れない。
あの頃の僕には戻れない。
そういえば僕は、何のために走っていたんだっけ。
理由すら忘れた。
「なんでだろ……」
気づけば呟いていた。
これまで非行に走ったこともなかった。
ただ真面目に学校に通い。真剣に部活に取り組んでいた。
それなのに、どうして僕はここにいるんだ。
どうして、僕は諦めなきゃいけないんだ。
どうして、今なんだ。
どうして、
どうして……僕なんだ。
そうして、時間が過ぎていき、肩の力を抜いた時だった。
「――なんでだろうね?」
すぐ隣から聞こえた。
「っ!」
樹は叫びそうになった声を飲み込み、むせ込んだ。
さっきまで隣には誰もいなかったはずなのに。楓ちゃんかな。
この相部屋は、達樹とおじいさんの二人だけである。お見舞いの人も、おじいさんの孫だけだった。
また、勉強で解らないところを訊きに来たのだろうか。
だとしたら少し見っともないとこを見せてしまった。涙眼を隠すように苦笑いして、声の主へと顔をあげる。
その先には一人の少女がいた。
樹の知らない少女だった。