時は ときに 時を 取り戻すことができない
著 眞田 圭介
桜花爛漫と言える時期も半ばを過ぎ、桜の花も徐々に落ちて、青青しい若葉が茂り始める今日この頃。
この街では特に良いと言える程のものが、なにもない。敢えて言うならば、丘の上に街一番大きく、小、中、高等部からなる学園がある事と、唯一大規模な花見ができる程の敷地を持つ公園があり、桜が蕾から満開の時期には、街の外からも人が大勢来て賑わう、というくらいだろうか。
「あぁ、退屈だ……。なぜ学校というのは、これほどまでにも退屈で、つまらない場所なんだ!」
春風が吹く屋上の柵を掴みながら、叫ぶ男が一人。心地よい風と暖かな日ざしが重なって眠気を誘発する静かな校内。
というのに、屋上で叫ぶ柊芳樹の行動を見て、こいつはいつも幸せそうで良いな……なんて思ってしまう眼鏡を掛けた地味な風貌をした男、烏丸はため息交じりに言う。
「あのなぁ……柊よ、退屈なのが学校というものじゃないのか?」
短髪よりちょっと伸びた髪に、そこそこ整った顔立ちに、背丈は男子の平均的な身長という、どこにでも居そうな男、柊は「いや、そうじゃないんだ!」と強調するように両腕を広げる。
「学校というのは、こう何というか……イベントとか毎日面白おかしく過ごせる場所じゃないのか?」
烏丸はため息を吐いてから
「そんなことを考えてのいるのは君だけで、事実、学校というのはな、退屈でつまらないところ、なんだよ」と言った。
「眼鏡じぃちゃんが偉そうに」
口を尖らせて反論されたので「別に、お前がそんな表情をしても可愛くもなんともないんだが」と反論すると、柊は「ちぇっ」と唾を吐くように言う。
「なぜ、俺たち学生って言うのは、白のYシャツを羽織って、指定のズボンやら、靴下やらを履かなきゃならないんだ⁉」
別に履かなくたって良いだろう?と、柊まるで何処かの三流役者のような、大仰な振る舞いで言う。
その仕草は何処か、古臭い。
「どうせ社会に出たら、スーツや作業着とかが制服となるだろう……?」
さも当たり前のことをなぜ今更言うんだい?と言うように、眼鏡を左手でくいっと持ち上げ、涼しげな表情で言う烏丸。
柊は「なんだか、気に食わない」と拗ねるように呟いた。
「そういえば」
烏丸は言葉を少し置いてから「お前……進路はどうするんだ?」と柊に問いかける。
「……別に。決めてねえ」
無気力な表情で柊は答えた。烏丸は呆れたように、「おいおい、もう5月に入ろうっていうこの時期に、まだ考えていないのか?こう……なんというか、なりたいものってあるだろう?」
烏丸は柊に、「進む道なんて、いっぱいあるじゃないか」と言うが、柊は苛立ち混じりに
「なりたいのが無いから、困っているんだよっ」と、悩みの種を語る。
「うーーーん。それは、大変な悩みだな」
お前にしてはな、と烏丸は皮肉交じりの言葉を付け足した。
「そうだよ!」
半ば叫ぶように芳樹は言い放ち、右手を力いっぱいに握り天に振りかぶって、
「俺だってな、悩みの一つや二つあるんだよっ!」と叫ぶが、烏丸は「ふうん」と興味のない返しをした。
「…………」
会話が続かない。言うなれば会話を続けにくい返答というのは「ふむ、へぇ、ほう」といった言葉を多用する人のことを指し、これを厄介な人間、或いは、面倒臭い人間と呼ぶ。右手で顔を覆いながら柊は、
「烏丸、会話の繋がらない返答はやめたほうが良いと思うんだけど……」
「…………え?」
「え?じゃねーよ!」
お約束の返答を聞いた、柊は勢いに任せて、烏丸の脳天に拳骨を喰らわせる。ゴンと鈍い音が二人の間で鳴った。
「……ったいじゃないかぁ」
いきなり何をするんだこの男は、と烏丸は頭を抱え涙ぐんだ表情で訴える。もちろん、それは友人同士のコミュニケーションの一つであるが……。
「理由?理由を訊きたいのか?」柊は悪い笑みを浮かべて聞く。「あぁ」と真顔で烏丸は頷く。柊は笑みを浮かべたまましばらく沈黙を保ち、やがてこう言った。
「気まぐれっ!」
「柊よ……。ちょっとこっちに来ようか」
返答も待たずに烏丸はサイドヘッドロックを決める。
「ちょ、ちょっと待てよ。いた。いたたたたたっ!悪かった!悪かったからっ!」
反省の色が見えた柊を見て、満足したのか締付け地獄から開放する烏丸。なんか、ちょっぴり涙目な柊を見て、お前が悪いだろうと悪態をつきたくなる。
それを抑えて、烏丸は柊の拘束を放す。
「あーーー痛かったーーー!」
首をゴキゴキ鳴らしながら、烏丸を見る。一瞬、そのまま報復するんじゃないのか、と思わせるような、ニヤリとした笑みを浮かべたあと
「面白かったなっ!」
柊は、ニッと笑って言った。どこが面白いのかわからなかった烏丸だが、同じく笑ってやがて同意するように「……あぁ、そうだな……。……面白いな」と呟いた。
そんな生産性の無い会話をしていたのも遠い日のことに思える。
無常にも、時は残酷なもので、決して待たない。
季節の替わりは早く、雨が続き、紫陽花が映える梅雨の時期に入ったかと思えば、梅雨と言うほどの雨量は少なく、しかし天候は大荒れ。蒼空いっぱいの快晴かと思えば、煤のように黒い雲がたちまち空を覆い、雷雨となる。
ここ最近の雨はまるで、亜熱帯地方のスコールのようだ。
学生最後の夏は、もう目の前まで来つつあった。
結局なりたいものも、目標もない男は、ジリジリと焼け付く屋上で呟く。
「……夏休みが“ずっと”続けば良いのに」
後に、この言葉が本当のことになるとは、いまの彼は知る由も無かった。
To be The Last Summer Vacation……