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結局、アヤメの花はコップに生けて置くことにした。
いきなり押し付けられたとは言え、『これはあなたに必要だから』と、言われるとなんだか捨てる訳にもいかなかった。
「……確かに、そうかもな」
なんとなく、自分と重ねてみた。まるで生きる目標を失ったかのような無気力。自分には、みずみずしい色彩も、つやさえ全くない。
(……ハァー、やめやめ)
暗くなりそうな空気を振り払うように首を左右にふる。
時刻は、午後四時半を少し廻ったところ。
世間はもう冬休みに入り、夜が早いため、この時間になれば近くの公園からは子供たちの騒ぐ声は聞こえなくなってくる。
今も、さっきまで聞こえていた楓ちゃんの声がしなくなった。おそらく家路に着いたのだろう。
しかし、意外に早いものだと樹は思う。
アレから三ヶ月。
もういい加減、樹の足は治った筈だ。医者が歩くリハビリを毎日のように樹に急かしてくる。でも、樹にはいまいちやる気がおきない。
「なーに暗い顔してんの?」
いつもそんな時だった。
彼女が樹の目の前に現れるのは。
「なんだ、つかさか」
よく見知った顔。
彼女は、鈴原つかさは、樹の小学校からの幼馴染だ。
紺のオーバーコートに、その下には学校の制服と、いかにも学校帰りだ。
「人が走って学校から来たってのに、なんだ、はないでしょ」
つかさはそういって、鞄から取り出した清涼飲料水を飲んでいる。といっても水だけど。
てか走ってきたという割には、息が乱れてないだろ。
樹は思う。
こいつはいつも楽しそうに話すよなぁ、と。
彼女は、今でこそ才色兼備小さい頃は今では思いつかないほどのいじめられっこだった。
小さくて、引っ込み思案で、自分の意見を面と向かって言えない、とてもひ弱な子供。そんなんだからよくいじめられていた。
でも彼女は、弱いんじゃない。
ただ、誰にも優しくて威張らない。それが、彼女にとっての自分で。
それが本当の強さだと、樹は思う。
(でも、ドジなんだよな)
実際、樹の覚えているうちで過去に一日に転んだ回数の最高記録は、十一回だ。
本人は、
「き、今日は運勢が最悪だっただけだよ。大丈夫、大丈夫」
とか言っている。
だから、今までは樹が彼女を心配する立場だったのに、今では入れ替わってしまっている。
しかし、悪い気はしない。
何だかんだで、入院中に着替えを持ってきてくれたりしてくれた。
一度、謝罪にきただけの運転手とはまるで違う。ま、もう来て欲しくはないが。
なにより樹が退屈しないようにと、毎日のように放課後になるとこうやって病室にやってくる事だ。
学校の男友達だって、両親だって、そんなことはしない。
むしろ、彼らには忘れられているのかもしれない。そんな寂しさを抱いていたりする。
だから言葉にはしないけれど、結構うれしかった。
どうしてか、「ありがとう」とはなぜかいえなかった。
そういえば、彼女が急に明るくなったのは中学一年生の時だったろうか。
臨海学校の際に、実行委員を任されたつかさは、一生懸命頑張ってクラスをまとめようと、レクリエーションの計画をしていた。
そのときの姿がとてもいいと思った。言葉じゃ言えないような、そんな感じだった。
そんな思い出に浸っていた時。
ちらりと、樹はつかさの目を見た。